紅葉がきれいな季節になりました。
夏にゆきむらが旅立ってから、季節は変わり時間は流れていきます。
思い出さない日はありません。
そんな日々の中で、どんなふうに気持ちが変化していったのか記事にしました。
悲しみは始まり
ただひたすらに悲しかった・・・。
なんで悲しいのか・・悲しいから泣いているのか・・泣くから悲しくなるのかわからない状態でした。
漠然と「あぁ・・・終わってしまった・・・。」と考えていたように思います。
その悲しい気持ちが、ペットロスの始まりだったとは考えていませんでした。
認めたくない気持ち
葬儀が終わったあとから、釈然としないモヤモヤした気持ちがつきまといました。
言葉にうまくできない、そわそわモヤモヤした気持ちです。
「キャットタワーの一番上で寝ている気がする。」
「庭に出たいと呼んでいる気がする。」
「ゆきむら姿をみせて。」
気づくと、そんなことばかり考えていました。
葬儀までしたのに、ゆきむらの死を認めようとしなかったんです。
目をこらせば、ゆきむらの姿が見えるんじゃないか?と真剣に思っていました。
どうしてこんなことになったの?
姿を見せてくれないことに、虚しさと悲しさを感じていました。
そうすると「何でこんなことに、なったんだろう?」と見当ちがいな怒りがわいてきました。
「あの時ちょっと変だと思ったのに、スルーした私がダメだった。」
「家族も、もっと強く言ってくれたらよかったのに。」
「先生も先の予測をしてくれたらよかったのに。」
そうしたら、こんなことにはなっていなかった。
助けられたに違いない。
そんな訳はないのに、グルグルと自分の中で釈然としない怒りを持てあましていました。
虚しさに支配される
四肢に力が入らなくなりました。
見るからに、やる気がなさそうな態度という感じです。
ゆきむらが亡くなって1週間後に、友人とランチをしたのですが、開口一番に
「顔色悪いね~何かあった?」と言われました。
家でもすぐに横になり、考え事(ゆきむらのこと)をしているので、ぼーとしているように見えていたと思います。
「こうやって落ち込んでると、ゆきむらが おでこの匂いをかぎにきたな~。」
そう思い出して悲しくなり、涙が流れるのに任せて泣いていました。
白っぽいものを目の端にみれば、ゆきむらだと思う気持ちと否定する気持ちが一瞬でおこり、半パニックで泣いている時もありました。
夢に現れてくれたら最高だと思っていましたが、実際に夢をみたら嬉しさもありましたが、いっそうの寂しさと虚しさが押し寄せてきました。
体というより、心が湿ったスポンジのように、どう扱ったらいいのかわからない物になっていました。
受け入れる
泣いたり怒ったり落ち込んだりしていても、時間は過ぎていきます。
やらなければいけないことは待ってはくれません。
ムリに動いたり、ゆきむらの写真整理をしているうちに
「もう帰ってこないんだ。会いたいのに、会えないんだ。」
という気持ちから
「このとき楽しかったな~可愛かったな~。また会えるね。向こうで待っててね。」
という気持ちが芽生えるまでになってきました。
悲しいものは悲しい
娘ちゃんの方が悲しそうで心配だったから、慰めなければいけない。
(大人なんだから)
最初に泣けなかったら、後だしジャンケンみたいで泣けなくなった。
(みっともないよ)
だから誰もいないところで、ひっそり悲しんでいたんです。
でもある時、家族みんなが悲しんでいるのに気づいたんです。
私が経験した4つのステップを、家族全員が同じように経験していたんです。
こんな当たり前のことに、気づかなかったんですね。
自分の心の痛みに支配されて、外を見ていなかったんです。
「風に飛ばされたビニール袋をみて、ゆきむらかと思ったら泣けてきた。」
「学校帰りにネコがいたの。ゆきと全然違うけど、ゆきが会いに来てくれたのかな?」
「ゆきの葬式に仕事で出れなくて・・オレって冷たい人間だよな。」
「もう一回だけでいいから抱っこしたい!」
全員おなじことを言いました。
それに気づいたら、ゆきむらがいなくなったことを受け入れられました。
素直に思えました。
だって悲しいんだもの。いなくなって、帰ってこないんだよ。
愛する者がいなくなるって、悲しいに決まってます。
それだけ大好きだったんです。
それだけ大切だったんです。
だから、みっともなくなんてないし、悲しみが完全に癒えることなんてない。
だからと言って悲しい気持ちを、押し込めることはしなくて良いんじゃないと思えました。
認めると、ストンと受け入れられました。
最後に
私と家族が経験したことは、4つのステップです。
- 現実を認められない気持ち
- 助けられなかったという怒り
- 底の見えない喪失感
- 悲しみを認めて受け入れる
悲しみを受け入れたからといって、完全になくなるわけではありません。
でも、亡くしたところで時間が止まっていましたが、確実に動き出しました。
写真を整理したり、ゆきむらの想いで話をしているうちに、悲しむために出会ったんじゃないと思えるようになっていきました。
まだまだ時間はかかるでしょう。
何度も言うように、完全に悲しみは消えないでしょう。
でも、私たちは幸せな時間を一緒に過ごしたんです。
その思い出は消せないし、消えることはありません。
泣きながら名前を呼ぶなよ。
もう、おでこに鼻チョンできないんだからさ。
オレを困らせないでよ。
いつものように元気に、ゆきむらって呼んでくれ。
きっと悲しみの中にいるあなたも、4つのステップのどこかです。
それは深く大きな愛情があったからです。
だから無理をせず、その子の話しをたくさんしましょう。
楽しかったことが、いっぱいあったはずです。
その気持ちで優しく名前を呼んであげられるようになりましょう。
きっと私たちも、あの子たちも幸せな気持ちになれると思います。
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