【ちょっと怖い話】 お盆とお施餓鬼

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ネコと日常

今年はお盆に里帰りしないんだけど、お盆やお施餓鬼について家族で考えてみたいと思うの。

子供たちにお盆てなに?って聞かれて、うまく説明できなかったのよね。

いちまつネコ
いちまつネコ

じつは実家がお寺のわたくしネコが、お盆の意味やお施餓鬼の由来などをお話ししましょう。

ちょっと怖いお話しかもです。(笑)

お盆はご先祖様を1年に一度、7月13日~16日または8月13日~16日(地域によっては15日)にお迎えする祖霊信仰の儀式です。

なんか難しいですね。

つまりはご先祖さまや、亡くなった家族がお盆には家に戻ってきてくれて、身近に感じられるということです。

そう考えると、1年に1度だけのこの期間は心が温まる気がしますね。

(身が引き締まる気持ちもある💦)

お盆てなに?

「なんでお盆てするの?」

そうですね~そんな疑問もありますね。

お盆の始まりには、こんなお話しがあるんです。

 

「お釈迦様の十大弟子のひとりに、神通力(超能力)に長けた目連尊者(もくれんそんじゃ)という方がいました。

目連さんはある日、自分の神通力を使って亡くなった母親が、魂の世界のどこにいるのか探しました。

魂の世界(あの世)は、*六道(ろくどう)に分かれていると言われています。

そこで目連さんは、天上界をみましたが母親はいません。

人間界にも・・修羅界、畜生界にもいないので、もしやと餓鬼界をみると、そこには餓鬼に姿をかえた母親がいました。

あの優しい母親が、なぜこんな世界に落ちてしまったのか・・目連さんは神通力で原因をみつけました。

目連さんの母親はたいそう優しい人でしたが、目連さんがまだ小さかったある日、物乞いが家に訪ねてきました。

何でもいいから、少しでもいいから食べ物が欲しいといった物乞いに、分けるものは何もないと追い返したのです。

目連さんの母親は、物乞いにあげるより自分の子供に与えたいと考えたのでした。

その時の行いの罰として、餓鬼界に落とされていたのです。

 

母親は目連をみつけると、助けに来てくれたと思い手を伸ばしました。

目連さんも母親を助けたい一念で、神通力で食べ物を送りました。

ところが母親が食べようとすると、食べ物は火に変わってしまいます。

あわてて水をかけると、水は油になって火を消すことはできません。

何度やっても火になってしまい、母親に食べ物を施すことはできませんでした。

途方にくれた目連さんは、お釈迦様に相談します。

するとお釈迦様は、こうおっしゃいました。

おまえの母親のほかに、亡者はたくさんいただろう。

母親だけを救うのではダメだ。

ほかの亡者たちを施して、最後に母親に与えなさい。

目連さんは早速お釈迦様の教えの通りにしました。

するとお母さんは、天上界へと行くことができたそうです。」

目連さんが多くの人に施した日が、7月15日だとされ、この日を先祖供養の大切な日といわれるそうです。

 

*六道とは

天上界・・・人間の世界より苦が少なく、楽が多い世界。

人間界・・・生病老死の四苦八苦がある世界。

修羅界・・・欲望を抑えられない争いをくり返す世界。

畜生界・・・弱肉強食で人を蹴落として自分だけが助かりたいと思う世界。

餓鬼界・・・嫉妬深い・物惜しみ・欲望の世界。

地獄 ・・・六つのうちで一番苦しむ世界。

六道の絵

真ん中の三文字は、無知・貪欲・憎しみを現しています。

この3つを捨てないと、輪廻の輪から出られないということを現しています。

出典:空飛ぶお不動様

 

お施餓鬼ってなに?

宗派によって違いはありますが、お盆と一緒にお施餓鬼という法要をするところもあります。

(ネコの実家は曹洞宗なので、施食会せじきえといいます。)

お施餓鬼ってなに?お施餓鬼をなぜするのか?には、こんなお話があります。

 

「お釈迦様の十大弟子のおひとりに阿難尊者(あなんそんじゃ)という方がいらっしゃいます。

先ほどのおはなしでは、目連尊者でしたがお施餓鬼の話しでは、阿難尊者という方です。

阿難尊者は、お釈迦様の身の回りのお世話をしていたので、お釈迦様の話しをたくさん聞いていたので多聞ともいわれています。

ある日、静かな場所で学修している阿難さんのもとに、恐ろしい形相の*餓鬼が現れました。

体はやせ細り、喉は針のように細く、口からは火を吐く姿です。

その餓鬼がこういいました。

阿難よ、お前の命はあと3日で尽きる。

死んだあとは、私と同じ餓鬼の姿になるだろう。

驚いた阿難は、どうすればその苦から逃れられますか?

と餓鬼に尋ねました。

明日の朝、多くの餓鬼と司祭者に供物を与えろ。

それが功徳となり、寿命が延び天上界に生まれることができるだろう。

そう教えられます。

ただ困ったことに、多くの餓鬼や司祭者に供物を施すのは大変なことです。

そこで阿難は、お釈迦様に教えを請いました。

するとお釈迦様は、陀羅尼という呪文を教えてくださいました。

その呪文を唱えると、一食の食べ物でも多くの餓鬼を満足させ、司祭者には心のこもった食べ物を布施できると教えられました。

こうして阿難は、この難局を乗り越えることができたといわれています。」

この言い伝えから、お施餓鬼とは自分に関係がないことと思われることでも、施し助け合うことは大事だということを教えています。

また物欲は、どこまでもいっても終わりがない欲の一つです。

物欲に支配されると、自分本位の考え方になり、差別したり、傷つけたりします。

自分の腹具合を知り、他に人と分かち合えることで、自分の心に大きな安らぎを持つことができるということも教えているんですね。

 

*餓鬼とは

喉が針のように細いので、食べ物が喉を通らない。

口からは火が出ているので、食べ物を口にすると燃えてしまって食べられない。

食べ物を手にとると、血膿に変わるので食べられない。

そのために体はやせ細って、いつもお腹を空かせている。

丁寧な暮らしはしていないと思われる。(笑)

まとめ!

今回はちょっと怖いお話をしました。

お盆は毎年来るので、なんとなくご先祖様に手を合わせて過ごすことが多いかと思います。

連休にもなるので、実家に集まってにぎやかに過ごすのがメインになったりしますね。

全然それもいいと思います。

お盆をきっかけに家族が久しぶりに集まって、思い出話をしたり故人を偲ぶことはすごくいいことだと思うからです。

でも、ちょっとお盆やお施餓鬼のルーツも知っておくと、改めて大切さがわかると思います。

最後にもう一つ、こんなお話しを

「天国と地獄は、じつは同じように食事がとれるんです。

みなさんが知ってる食事に例えれば、バイキングを想像してください。

そしてそこで食事をするには、長いお箸を使います。

食事をするときにお箸を持つと、手にくっついてしまいます。

お箸は長いので、自分の口には食べ物を入れられません。

地獄では食事のたびに争い、ののしりあいが始まり食事になりません。

でも天国では楽しそうに食事をしています。

何が違うのかわかりますか?

地獄では好きな食べ物を我先に取り合い争い、長い箸を武器にしているんです。

これでは食べられるわけがありません。

天国では周りの人に何が食べたいか聞き、食べさせてあげます。

そして今度は食べたいものを食べさせてもらいます。

こうして楽しく食事がとれるのです。」

思いやりは自分も、他人も幸せにしてくれます。

お盆にはこんな話しも家族で出来るといいですね。

 

 

 

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